コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概略 郡山市湖南町の福良と会津若松市の境にある国道294号の峠。平安時代にはまだ杣道程度で、西側の田代・高坂の領主佐藤備前の方では「備前坂」と呼び、東側赤津の領主栗森備中の方では「栗森峠」と呼んだ。東麓には真言宗蓮蔵寺が建てられ、一方の佐藤備前方には高坂に伊勢神明天照皇太神宮を勧請。神の里と仏の里をこの峠が結んでいた。 中世の冬坂街道は若松─背炙峠─並松─経沢─高坂─田代─境岫(さかいのくき)─安曇郡赤津─小枝坂─地蔵山─弥陀内─祢宜内─大将地─馬入峠─岩瀬郡更目木─大平─羽鳥─白河という道順。黒森峠も鎌倉期以降は馬道となり、境岫からの田代越えとともに利用された。その後栗森備中は新しく鎌倉幕府からこの地に封ぜられた伊東一族と争って滅亡。その怨霊が峠に現れ峠を通る僧や役人たちを悩ませたといい、修験真船法師が蓮蔵寺の住持となって供養したところ霊は出なくなった。この時に「黒森峠」と改名されたという。 ■走行記録 赤津集落の外れからピークまで3km。つづらの手前左側に強清水という湧き水がある。緩坂なのでアウターでぐいぐい登り、15分足らずでピークの切り通し