コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 "■峠の概略 喜多方市と山形県米沢市との境にある国道121号のトンネル。 天正のころ、伊達政宗が関柴(現在の喜多方市北東にあたる)の地頭・松本備中と謀り、会津侵攻のために開いたのが始まりとされる。その時は会津方の根小屋から東へ向かい、中小屋、小峠を経て峠に至るルートであった(この道は地形図にも記載されている)。結局はこの峠越えの侵攻に失敗し、すぐに見捨てられてしまった。とはいえ江戸時代には、寛永四年(一六二七)に会津領主の加藤氏が往来を禁止しており、米沢街道の間道として使われていたと考えられる。 明治中ごろに三島道庸が福島県令に就任すると、会津三方道路の一つとして車道建設がはじまる。このあたりの歴史は関連リンクを参照。(「会津の峠」) ■走行記録 西米沢駅から峠まで30km、ひたすら走った。国道121号の普洞沢2号橋の手前で旧国道に入る(ここから峠まで11km)。一部、落石のある箇所もあったが、舗装路なので順調に登る。大峠トンネルの約1km手前からダート。やや崩れているところもあり、0.2kmほど押す。西米沢駅から3hr弱で大峠トンネルに到着。トンネル付近には、 [|"http://nagajis.dyndns.org/KDC/oo_t/oo_t_i.html"] "