コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概要 大塚山の東の鞍部を越える。会津側には三本の道があったといい、そのうち野辺沢から三の倉山を経て峠に至る道が米沢への間道であったという。戦国時代には米沢の伊達氏と会津の芦名氏との間で繰り返された戦闘の舞台になっている。他の間道と同様に、寛永年間に通行が禁止されて衰退。(「会津の峠」)