コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概略 下郷町の大内ダム北東にある山道の峠。現在はハイキングコースとなっているが、会津藩からは「南山通」とも呼ばれ、会津藩の参勤交代や年貢米の輸送に使われた交通の要衝であった。。日本百名峠の編集された頃にダムは建設中であったらしく、この項の著者(山崎れいみ)は特別の計らいで峠を訪れている。 峠道にある追分沼には「戦死二十四人墓」。戊辰戦争の際にこの峠を死守しようとした将兵を弔うもので、大内村の人々によって建てられた。将兵のなかに大内村の阿部大五郎という名主がおり、大内村が西軍に占拠されるのを恐れた隊長が村を焼き払おうとしたのを説得し留めたといわれる。(「日本百名峠」) ■走行記録 旧会津西街道、大内宿の北、大内ダム湖から登る里道の峠で乗車率も高い。(吉永)