コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概略 会津若松市街の南東、県道374号の峠。湊町の人々が若松に用事にでかける時、朝は朝日を背に受けて、帰りは夕日を受けることから背中炙山という名がついた(そこから峠名に)。天正年間には、豊臣秀吉が伊達政宗から没収した会津領を支配するためにこの峠を越えて会津入りしている。 江戸時代、会津藩の加藤嘉明は「炙は火につながり、火事を連想させる」として 冬坂峠と改名。幕末まで公式には「冬坂峠」を用いたという。一方で這って登るほど急な坂道であったことから這坂峠とも呼ばれた。滝沢峠が開かれるまでは公道として栄え、白河街道・東通り・白河通りなどと呼ばれて、佐渡産出の金や幕府の役人が越えている。 現在は車道が開通。東に猪苗代湖、西に会津盆地を望む好展望の峠。