コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概略 会津若松市滝沢町と金堀との間にある破線路の峠。ハイキングコース。寛永四年(1627年)に滝沢坂として白河への道が開かれ、以降公道として利用された。同九年から十三年にかけて石畳が整備され(『新編会津風土記』)、『会津の峠』出版の頃は「わずかにそのおもかげをとどめるのみである」とある。かつては金山だった金堀集落を中間に、西側が滝沢坂と前坂(西の坂)、東側が沓掛峠とに分けられる。 明治の中ごろに峠南と峠北に相次いで車道が開かれた。それぞれ『南新道』『北新道』と呼ばれ、前者は早く廃れたが後者は国道49号となって現在に至る。 ■走行記録 白楡学園研修所の辺りを入ると、旧道は遊歩道になっていた。頂上付近に大きな電波塔があったように記憶している。(吉永)