コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概要 南北朝時代、隠岐に流される後醍醐天皇がこの峠を越えて山陰入りしたとされる。美作の豪族・児島高徳はこれを奪い返す計画をたてたが、船坂峠を通ると考えていたために失敗。院庄の宿舎に入った天皇のもとへ忍び込み、桜の老木に「天勾践を無しゅうするなかれ」の詩を記して立ち去ったといわれている(太平記)。出典ではこの物語りが唱歌として歌われていたこと、戦後の研究で児島高徳が架空の人物であるらしいことが判明していることなども記載。(「兵庫の峠」)■峠の概略 中国道併走,兵庫県境(吉永さん)