コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概要 峠を挟んで二つの明神(一ノ宮神)。鎌倉時代以降、国境にその国の一ノ宮の分祠を勧請するようになったが、ここでは両国の一ノ宮神がたがいに相手方の国で祭られていた。常陸側の橋場地区の住民は下野側の温泉神社を、下野側の盛泉地区は常陸側の鹿島神分祠を。お互いに国境を強く認め合うために考え出されたものという。(以上「峠の民俗地誌 -境をめぐって-」より) 「茨城の峠」では、峠に伝わる玉姫の伝説を紹介し、その祠を建てた宮大工・三村兵五郎さんの妻タマさんに取材している。「山頂にある」祠とあるので峠の祠(=境の明神社)ではないかも知れない・・・と思ったら写真は「峠の民俗地誌」に境の明神社として紹介されているものと同じであった。 日本百名峠の記述も境の明神社について(を峠に住む老夫人に訪ねた話)が中心だが、境の明神がどんな神なのかは『那須郡誌』を引いて玉津島神としているだけである。かわりに「七兵衛地蔵」の話を掲載(この地蔵については「茨城の峠」にも記載あり)。 「昔、近くに七兵衛と