コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概要 かつては遣唐使船の発着港として「唐の湊」と呼ばれ、藩政時代には琉球を介して行なわれた密貿易の湊として栄えた坊津。ここと鹿児島城下を最短距離で結んだ。明治四十二年に県道枕崎-坊津線ができ、その峠を耳取峠と呼ぶが、古くは約500m北の番屋山山麓を越えるものだった。峠を坊津側に越えると、538年に開かれ、明治初期まで密教寺院として栄えた一乗院がある。 耳取という名前の由来は3つ。一つは峠道からの開聞岳の眺めが素晴らしく、「みとれ」てしまうことからという説。一つは海からの風を正面に受けるので「耳がとれるほど寒い」。今一つは密貿易にかかわった罪人の「耳を切り取り追放」したという説があるという。 また峠には道教の神様・泰山府君(東岳大帝)をまつる石碑あり。中世に朝廷を中心に祭られた神だといい、一乗院に由来するものらしい(密教寺院だが道教の痕跡も多く見られる)。(「九州の峠」)