コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概要 日田往還と呼ばれ、熊本城下と日田とを結んだ道。熊本新町一丁目の札の辻を起点にし、峠には四里木が設けられていた。 文政元年(1818)の大旱魃で菊池郡に水争いが起こり、その再発を防ぐためにこの峠に井手が築かれている。川原川の水をせき止め、四つのトンネルを掘って県境まで水を引くもので、川原川が流れる兵藤谷の「兵」と戸豊水村(現菊地市大字豊間戸豊水)の「戸」を取って「兵戸井手」と名付けられた。のちにこれが峠名にもなっている。(「九州の峠」)