コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概要 峠に高殿式の地蔵堂があり、四隅の床柱が四本足のようにして立っていたことから(現在のお堂は普通の形式)。この堂は土佐と阿波との国境にもなっており、足の2本は土佐側に、残り2本は阿波側に位置しているという。ゆえに峠の両側の集落がこの堂の修理や維持管理に当たっていたとか(現在もその堂が残っており地形図にはこちらを記載)。 この堂は戦国時代の長宗我部氏による検地帳(天正16年・1588)にも見え、創建は古い。地蔵様は寛永十四年(1637)、久保(旧上韮生村)の領主によって寄進されたという記録がある。一間四面、かやぶきの堂として峠にあったが、ある時期に風の当たらない阿波側へ移されたこともあるようだ。元禄十一年(1698)には片屋根の堂が仮設され、地蔵様もそこに安置されていた。その翌年には元のように国境に堂が再建され、以降も亨和元年(1801年)に両国藩主の武運長久・万民豊楽を祈って再建されたという記録が残っている(以上「土佐の峠風土記」より。この堂に関する部分は物部村史に詳しく書かれているようだ) 「阿波の交通」には明治の末に馬道がつけられたとある。高知からは