コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概要 東山道最大の難所。記紀や万葉集に神坂として記されているほか、昭和26年(昭和42〓43年)の発掘調査で石積状遺構、石製模造品、玉類、土器類などが多数発見されていることでも知られる。また今昔物語の「受領は倒るる所に土をつかめ」の話もこの峠路でのことだった。 明治44年の中央本線全通の後は伊奈谷と中京方面をつなぐ最短距離の路としてしばらく使われていたようだが、大正12年に伊奈電気鉄道(現JR飯田線)の開通によって再び寂れた。その後、昭和46年に阿智村園原から南へ戸沢を廻り、神坂峠の南部を越える林道が建設されている。昭和50年には神坂峠直下に中央自動車道恵那山トンネルが貫通、同60年には4車線供用開始。(「峠の道路史」) 知波夜布留賀美乃美佐賀爾怒佐麻都里伊波負伊能知波意毛知知我多米 神人部子忍男 (ちはやぶるかみのみさかにぬさまつり いはふいのちはおもちちがため) この峠を詠んだ