コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概要 亀田と川大内郷の境、川大内通りや駒泣き街道とも呼ばれた道。「正保国絵図」にも一里塚の所在とともに記録されている。川大内郷から見上げた山陵が馬の背に見えたことから「駒長背」→「駒鳴がせ」となったという説もあり。峠の一本杉の根本には井戸があり、弘法大師や慈覚大師のお授け水という伝説も。この井戸から「井峠」「山椒峠」とも呼ばれ、峠から亀田へ下る細い尾根は「井峠長根」と呼ばれ利用された。 また天正10年(1583)庄内の武藤氏と秋田安東氏の戦があり、駒長背の最高点に陣を敷いた秋田氏が勝利したことから「勝山峠」、その他にも「大弛峠」という名称もあったとか。(「秋田の峠歩き」)