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2011-5-31 09:49:16 |
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2009-7-18 10:52:37 |
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p_comment=_quot_■峠の概要
京都や大阪から来る東・中・西の三本の高野街道が、河内長野で合流し、この峠を越える。標高380mは葛城山脈のなかでも比較的低く、また高野山への最短距離ということもあって大いに賑わった。慶安元年(1648)には峠に番所が置かれ、また峠に発達した集落は宿場として機能した。
明治33年に紀和鉄道(現JR和歌山線)、大正4年に大阪高野鉄道(南海高野線)が開通した頃から峠は衰退。昭和7年にようやく県道が開通、32年には峠越えの定期バスも走った。国道371号への昇格は37年で、44年に紀見トンネルが開通している。(「峠の道路史」)
[p_6593_000]
峠を大阪側から。左手に登って行くのが旧街道。紀見峠集落を抜けていく。
[p_6593_001]
峠の解説看板。この他にも高野山女人堂へ六里の石柱も建つ。
[p_6593_002]
紀見峠集落。
[p_6593_003]
北側旧道に国道170号時代の国道標識が残る。
■関連リンク
・[分水嶺辞典・紀見峠|http://nagajis.dyndns.org/Bunsuirei/text_d/knk/kimi.html]
_quot_
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2009-7-18 10:51:27 |
p_comment=_quot_■峠の概要
京都や大阪から来る東・中・西の三本の高野街道が、河内長野で合流し、この峠を越える。標高380mは葛城山脈のなかでも比較的低く、また高野山への最短距離ということもあって大いに賑わった。慶安元年(1648)には峠に番所が置かれ、また峠に発達した集落は宿場として機能した。
明治33年に紀和鉄道(現JR和歌山線)、大正4年に大阪高野鉄道(南海高野線)が開通した頃から峠は衰退。昭和7年にようやく県道が開通、32年には峠越えの定期バスも走った。国道371号への昇格は37年で、44年に紀見トンネルが開通している。(「峠の道路史」)
■関連リンク
・[分水嶺辞典・紀見峠|http://nagajis.dyndns.org/Bunsuirei/text_d/knk/kimi.html]
[p_6593_000]
峠を大阪側から。左手に登って行くのが旧街道。紀見峠集落を抜けていく。
[p_6593_001]
峠の解説看板。この他にも高野山女人堂へ六里の石柱も建つ。
峠の解説看板。
[p_6593_002]
紀見峠集落。
[p_6593_003]
北側旧道に国道170号時代の国道標識が残る。
■関連リンク
・[分水嶺辞典・紀見峠|http://nagajis.dyndns.org/Bunsuirei/text_d/knk/kimi.html]
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北側旧道に国道170号時代の国道標識が残る。_quot_
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