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『国郡志書帖』(上甲立村)によれば「五龍山在城(宍戸氏)の時は、往還道(は)今時の市中(の)田口(より)妻坂峠、是より吉田村へ相通(り)」(注:括弧は出典著者)と記し、近世以前は郡北と吉田および瀬戸内海沿岸地方を結ぶ主要な交通路であったようだ。近世に入って五龍山の麓に現在の国道54号に相当する道ができるが、それ以降も「当村西北郷の者、今に古道を往来」しているとある。そのため峠南麓の四軒屋集落には可愛川の船着場が設けられ、茶店や宿屋もあり、郡北地方からの人馬荷駄で賑わったという。
その後しばらく忘れられていたが、昭和49年(1974)に県の自然歩道に指定され、廃カーで活況を呈している。(「ふるさとの峠と街道」)