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郡山市の多田野と猪苗代湖畔の浜路との間の峠。全舗装。
前九年の役の際に総奉行の鎌倉権五郎景政が賊徒を討ち、国土安全を願って総鎮守御霊の宮を祭った。その後賊徒の霊が祟って冷害凶作が続いたため、この御霊の宮を奉じて山上の櫃石に勧請したところ験あって五穀豊饒となった。以来この石を御霊櫃ととなえ、そこから峠の名もついたという。一方で御霊とは平安時代の御霊信仰に由来するもので、失脚した貴族の霊を祭ったものであろうとも出典は記す。「積達信大概記」という書物を引いて、御霊の宮→五郎の宮(只野本社の祭神)で、景政の五子五派を祭るために五霊櫃という説も掲げている。峠には御霊の宮のほか風神・雨神のほこらもあったという。猪苗代湖から吹き上げてくる冷たい風のおかげで、付近は見事な山ツツジの群落である。
のちに「夷口七峠」の一つとして発展。戊申戦争の際には会津軍と仙台軍が砲火を交わした。明治・大正期には湖南地方の馬が輸出されるメインルートであった。安積郡全町村が合併したとき、湖南町と多田野村ではその記念に峠を車道化、昭和四十二年に完工している。出典の編まれた時にはまだ未舗装だ った。(「会津の峠」)
峠と峠道は郡山市街からよく見える。そのため峠道からの眺めもよい。
峠名の由来となった櫃石。羊腸のようなつづら折れの途中から入っていく(入口に案内看板あり)。付近にはこれほど大きな露岩がなく、確かに奇妙な存在だ。
峠
戊辰戦争の時には峠北の小高い岡に保塁が築かれた。登ればほぼ全方位を見渡すことができる。
猪苗代湖方面の眺め。