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岩瀬村と猪苗代湖畔の中野(郡山市)との境の破線路の峠。笠ヶ森の南を越える。
会津領から二本松飛領の安佐野を経て盤瀬の長沼領や白河領へ抜けるための脇街道。「夷口七峠」の一つとして、上杉景勝の時代には徳川勢を迎え討つための堡塁が築かれた。戊申戦争ではこれを再現補強する形で会津の国境要害としている。
峠の名の由来は、峠の前後の杣屋で鶏を飼っていたとか、珍しい野鶏が繁殖していたとか、野盗が鶏の声をまねて旅人に危害を加えたなどさまざまな説がある。また奥州の乱に際して八幡太郎義家が八幡岳に陣を構えていた時、峠の天狗岩で金の鶏が戦機の熟したのを告げたという伝説もある。この金鶏に導かれて八幡岳にのろしをあげ、背炙に陣していた友軍に連絡して、いよいよ北進が開始されたのだという。
江戸時代には西側が二本松領の飛び地であったこともあり、会津からの抜け荷や抜け参りが多く越えた「裏道」であった。(『会津の峠』)
中屋敷から峠を見る
峠西側、林道終点。ここで峠道がぷっつり途切れる。右手の沢に沿って登った。
南の小山から峠を見下ろす
峠には車道幅に匹敵する大きさの道跡が残っている。ただしこれを辿って下ることはできない。
東側峠道。諏訪峠道に出る(こちらからのほうが登りやすい)。