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峠データベース・詳細表示

峠No. 1978
峠名 背炙峠
読み せあぶりとうげ
行政区 福島県会津若松市東山町石山
東経 139 度 58 分 11.000 秒 / 139.97
北緯 37 度 29 分 17.000 秒 / 37.488056
標高 506
図版番号 NJ-53-73-4-1
2.5万図 若松(北東)
5万図 若松
20万図 新潟
道路種別
タグ
出典 会津の峠(上),地形図
航空写真 CTO-75-32-C9A-40 / CTO-76-25-C17A-26, 27 / CTO-76-25-C18-31, 32, 33, 34, 35, 36, 37 / CTO-76-25-C19-28, 29, 30†, 31, 32, 33 / CTO-76-25-C20-28, 29, 30, 31, 32, 33, 34
地形図 国土地理院地形図閲覧システム
東経139度58分11秒, 北緯37度29分17秒
Mapion Mapion地図
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■峠の概略

会津若松市街の南東、県道374号の峠。湊町の人々が若松に用事にでかける時、朝は朝日を背に受けて、帰りは夕日を受けることから背中炙山という名がついた(そこから峠名に)。天正年間には、豊臣秀吉が伊達政宗から没収した会津領を支配するためにこの峠を越えて会津入りしている。
江戸時代、会津藩の加藤嘉明は「炙は火につながり、火事を連想させる」として
冬坂峠と改名。幕末まで公式には「冬坂峠」を用いたという。一方で這って登るほど急な坂道であったことから這坂峠とも呼ばれた。滝沢峠が開かれるまでは公道として栄え、白河街道・東通り・白河通りなどと呼ばれて、佐渡産出の金や幕府の役人が越えている。
現在は車道が開通。東に猪苗代湖、西に会津盆地を望む好展望の峠。