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峠データベース・詳細表示

峠No. 1980
峠名 勢至堂峠
読み せいしどうとうげ
行政区 福島県岩瀬郡長沼町勢至堂/郡山市湖南町三代
東経 140 度 7 分 31.000 秒 / 140.1255056
北緯 37 度 19 分 54.000 秒 / 37.33168889
標高 738
図版番号 NJ-53-65-13-1
2.5万図 岩代長沼(北西)
5万図 長沼
20万図 白河
道路種別
タグ 分水嶺
出典 地形図(1/5万 H1修正図)
航空写真 CTO-76-26-C21-4 / CTO-76-26-C17B-9, 10†, 11 / CTO-76-27-C1C-41, 42, 43†, 44
地形図 国土地理院地形図閲覧システム
東経140度7分31秒, 北緯37度19分54秒
Mapion Mapion地図
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■峠の概略

長沼町と郡山市湖南町との境にある国道294号の峠。トンネル上の舗装路旧国道。

若松からこの峠を越えて白河に至る道は、会津側からは「東通り」「茨城街道」と呼ばれた。佐渡の金も越え、湖南地方では「越後街道」という呼ぶこともある。言い伝えでは宝亀十一年(780)征東大使藤原小黒麿がこの峠を越えて反乱軍を征伐したという。その頃から杣道があったが、道として整備されたのは天文十五年(1546)。芦名盛氏がその頃通じていた板橋銅山道を拡張し、さらに天正十八年(1580)豊臣秀吉の会津入りの際に使われている。

街道は江戸時代の加藤嘉明の入部と同時に整備が行なわれた。寛文七年(1667)には保科正之によって一里三十六町制が敷かれ、のち幕命によって一里塚が築かれている。出典では「いま道の両側に残っているもの」として八田野・穴切・黒森峠・三代とこの峠南側にあるものの5つを挙げている。

元禄元年(1688)には領外の勢至堂村にあった口留番所を領内の三代村に移し、さらに中腹の唐沢に出番所を置いた。このため会津側では天保以降も唐沢峠、御代峠が正式名であったようだ。

(「会津の峠」)

■写真

(2002.8.)

西側峠道に残る一里塚

(2002.8.)

峠。アブが多かった・・・。

(2002.8.)

2002年夏は東側旧道が土砂崩れで通行止め。