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郡山市と猪苗代町との境にある破線路の峠。猪苗代側は林道レベル。
会津と中通りを結ぶ重要な道として繁栄した。古くは蒲生氏郷が会津入りした際、壷下村と中山村との間に人家がなく往来に不便であったことから倉手山の麓に楊枝村を開いたという(慶長二年(1613):この頃は二本松街道と呼ばれた?)。
明治十二年(1879)十月に県道一等に仮定され、越後街道となるべき峠であったが、新たに中山峠を通る会津街道(現国道49号)が開削された上にそちらが県道一等となり、楊枝峠越えの越後街道は里道に降格されてしまう。以降峠を越す車馬の交通はなくなり、山に通う人々の通路として利用されるだけの峠となった。
出典ではこの他、峠に湧く清水にまつわる伝説を記す。ある皇子が罪を得て、五百の川を渡った外まで流れ行けという遠流のお達しを受けた。警護のものと共に東国を落ち行き、五百番目にあたったのが安積郡高倉村と安達郡仁井田村の境の川であった。携えてきた猿田彦の大神をその水上に安置すべく遡ったところ、すなわちこの峠に清水を見つけ、「街(ちまた)の清水」と名付けて神を祭ったという。
磐越自動車道を潜ったところに不動尊
西側峠道。峠に近づくにつれ良くなる。
西側峠道の一里塚と湯殿山碑
東側一里塚
東側峠道