名前の通り丹波から播州へ入る口として使われた道。播州側から見た時には「大名草峠」と呼ばれた。南側の杉原川流域は「杉原紙」の生まれた地。平安時代から楮を使った流し漉きの和紙作りが始まり、鎌倉時代には武家の公用紙、写経や経典の紙としても珍重された。大正14年にいったん途絶えたが、戦後になって復興。昭和46年に「杉原紙研究所」が作られたと出典にある。(「兵庫の峠」)