古代山陰道の峠。江戸時代には佐冶山峠(頂上を遠阪嶺)と呼ばれ、天明七年の絵図では遠坂峠、この地図を引用した明治36年の「朝来志」には柴峠の名前で説明されている。昭和52年に遠阪トンネルが開通し旧道化。出典では青垣町佐冶の「丹波布」を紹介。(「兵庫の峠」)
・分水嶺辞典・遠阪峠