旧藩時代の津軽領と南部領の境。アオモリトドマツ(オウシラビソ)という針葉樹が多く、津軽から南部にかけて吹き抜ける冬の風によって3mほどにしか育たない。うち2mが直径10-20cmのまっすぐな幹で、残りは2,3m四方の幅に広げられた姿であり、笠松の名前もここからきているようだ。出典の筆者は三浦敬三氏。昭和13年頃に八甲田周辺を訪ねスキーを楽しんだ帰りに、この峠で日が暮れ、真っ暗な中を酸ヶ湯へ帰ったという話を載せている。(「串田孫一編『峠』」)