周の時代、皇后に取り憑いた金毛九尾の狐。后の死後遣唐使について日本に渡り、玉藻前という美女になりかわって宮廷に仕えたが、陰陽師に見抜かれて下野国は那須野ヶ原に逃げ込む。そうして久寿二年(1155)、相模国の三浦大介という人物が朝命によってこの狐を退治。帰りがけに烏帽子をかけて休憩したのがこの峠だという。(「茨城の峠」) 出典にはないが、歌舞伎や謡曲『殺生石』等のことであろう。