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峠データベース・詳細表示

峠No. 2381
峠名 境明神峠
読み さかいのみょうじんとうげ
行政区 栃木県那須郡馬頭町盛泉〜茨城県久慈郡大子町上金沢
東経 140 度 15 分 16.000 秒 / 140.2547083
北緯 36 度 46 分 23.000 秒 / 36.77317
標高 219
図版番号 NJ-53-65-12-3
2.5万図 大子(南西)
5万図 大子
20万図 白河
道路種別
タグ
出典 地形図,峠の民俗地誌,茨城の峠,日本百名峠
航空写真 CKT-84-4-C7-61 / CKT-75-7-C7-33, 34†, 35 / CKT-75-7-C8B-19, 20, 21 / CKT-75-7-C9B-15
地形図 国土地理院地形図閲覧システム
東経140度15分16秒, 北緯36度46分23秒
Mapion Mapion地図
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■峠の概要

 峠を挟んで二つの明神(一ノ宮神)。鎌倉時代以降、国境にその国の一ノ宮の分祠を勧請するようになったが、ここでは両国の一ノ宮神がたがいに相手方の国で祭られていた。常陸側の橋場地区の住民は下野側の温泉神社を、下野側の盛泉地区は常陸側の鹿島神分祠を。お互いに国境を強く認め合うために考え出されたものという。(以上「峠の民俗地誌 -境をめぐって-」より)
 「茨城の峠」では、峠に伝わる玉姫の伝説を紹介し、その祠を建てた宮大工・三村兵五郎さんの妻タマさんに取材している。「山頂にある」祠とあるので峠の祠(=境の明神社)ではないかも知れない・・・と思ったら写真は「峠の民俗地誌」に境の明神社として紹介されているものと同じであった。

 日本百名峠の記述も境の明神社について(を峠に住む老夫人に訪ねた話)が中心だが、境の明神がどんな神なのかは『那須郡誌』を引いて玉津島神としているだけである。かわりに「七兵衛地蔵」の話を掲載(この地蔵については「茨城の峠」にも記載あり)。

「昔、近くに七兵衛と