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地形図に記載の峠道(国道328号)は明治26年に掘削されたもの。古くはこの峠の北西300mほどのところにあった「ツッセド(土瀬戸)越」「ササンダン(笹之段)越」が利用されていた。北側の峠道は「太郎どん(太郎左衛門坂)」とも呼ばれる。慶長15(1610)年6月15日、入来の地頭平田太郎左衛門増宗が、島津家家臣の押川強兵衛と入来衆中の桐本九郎右衛門によってこの道で暗殺されたという。存命の島津義久の外孫を守護職に推挙しようとしていたことがその原因だったようだ。入来は代々入来院氏の私領地で、山城、領主館、馬場などの集落遺構がよく保存されている。(「九州の峠」)