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峠データベース・詳細表示

峠No. 2963
峠名 三太郎峠
読み さんたろうとうげ
行政区 鹿児島県大島郡住用村東仲間/神屋
東経 129 度 25 分 17.000 秒 / 129.4215139
北緯 28 度 17 分 3.000 秒 / 28.284334
標高 343
図版番号 NH-52-156-11-1
2.5万図 住用(南)
5万図 湯湾
20万図 奄美大島
道路種別 国道58号
タグ
出典 地形図,九州の峠,九州の峠
航空写真 CKU-74-13-C12-29 / CKU-77-6-C18A-34, 35 / CKU-77-6-C18B-2, 3, 4 / CKU-77-6-C19B-16, 17†, 18
地形図 国土地理院地形図閲覧システム
東経129度25分17秒, 北緯28度17分3秒
Mapion Mapion地図
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■峠の概要

 大島の名瀬から古仁屋へ抜ける幹線道路。名前の由来となった三太郎爺さんの三太郎茶屋があったが、大正4,5年に峠を迂回する県道ができて廃れた(その直後の三太郎茶屋に柳田國男は訪れている(「海南小記」))。川辺町出身の彼は明治三十年頃に峠付近の土地を買い、夫婦で茶屋を始めたという。手作りの菓子や茶を振舞うほか、近くを開墾して茶やシイタケ、島みかんやツゲなどの栽培もした。長身で白いひげをたくわえ、いつも羽織・袴で出迎えたという話が伝わっている。
 昭和3年に死去、妻シゲも後を追うようにして同年に他界。2人の墓は峠からも見下ろせる海辺の集落に作られたが、昭和14年の津波で流されてしまった。「寄せる波とともに訪れ、また波とともに去って行った、なんとも不思議な、そして愛すべき人物であった」と出典では記している(「九州の峠」)。まことにその通りだと思う。
 また出典では長田須磨著「奄美女性史」にこの峠の古名が須垂峠であったことを記しているとある。三太郎爺さんの存在+スタルという読みが地名を動かしたのであろう。

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