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古代東山道は足柄峠経由あるいは乙女峠経由の道であった。延暦21年(804)の富士山噴火により足柄峠越えが埋没し、通行不能になったのを受けて箱根峠越えの道が開かれたとされる。
江戸時代になると湯本から三島に至る道が整備され、それまで尾根伝いの道だった「湯坂道」を須雲川沿いに畑宿経由で二子山の南麓を登るルート(箱根旧街道)に変更された。
明治に入ると車両交通のための道整備が始められ、20年頃には現在の国道1号の基礎となる塔の沢〓宮の下間の私道、明治37年の宮の下〓小涌谷、芦の湯〓箱根町間の道路整備がなされている。大正年間には箱根峠を中心とする 江戸時代になると湯本から三島に至る道が整備され、それまで尾根伝いの道だった「湯坂道」を須雲川沿いに畑宿経由で二子山の南麓を登るルート(箱根旧街道)に変更された。
明治に入ると車両交通のための道整備が始められ、20年頃には現在の国道1号の基礎となる塔の沢〓宮の下間の私道、明治37年の宮の下〓小涌谷、芦の湯〓箱根町間の道路整備がなされている。大正年間には箱根峠を中心とする道路の改 3.1km28