昔、津野領一円に悪疫が流行し、死者が続出したので、津野領の殿様が領内寺院の僧を集めて大般若経転読の御祈祷を行なった。このとき羽山(現葉山)からのお布施が少なかったので、津野山(東津野村)に立て替えてもらい、その代わりとしてこの坂を譲って布施の代わりにした、という伝承がある。それでも足りないので谷をひとつ添え、これが添谷であるとか。(「土佐の峠風土記」)