横倉山は、壇の浦の合戦で敗れた安徳天皇がこの地まで落ちのび、この地で崩御したという伝説がある。その遺跡をたどって横倉三山を越える15kmの峠道。またこの地は熊野権現を勧請し熊野修験道の中心として栄えた。幕末には土佐と伊予とをつなぐ道の一つとして、那須信吾ら脱藩志士が越えている。(以上「土佐の峠風土記」より) 特に峠の名前があるようではないが、土佐にはこうした峰を渡る街道(ピークがいくつもある)というものが多い。「三嶽越え」も著者が便宜的につけた、この山越えの道の総称のようだ。