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『手箱山と云御留山大山也。此山に雪屋と云所あり、いわゆる氷室也。むかしは毎年雪を詰めし所也。忠義君(注:土佐藩2代藩主)の御代迄、毎年六月朔日に此の雪を取て壷に納め、夜送の早飛脚にて雪を献しけるとかや、領家郷より直ちに行近道を今も雪道と云。此故也。今は止まりて其事なし。』(出典より引用、原本は『本川村史』資料編・寺川郷談)
という雪道を、出典の著者が比定したのがこの峠である。現在はそれが認められ「土佐の雪道」という碑が峠に建てられている。また峠には寛政七年の銘のある地蔵様がおわします。以前は立派な松もあったが、この著者が本を記した頃に倒れ、地元の人はそれを売った代金の一部で地蔵様の上屋を作ったとか。何ともいい話である。(以上「土佐の峠風土記」より)