三十六番青龍寺と三十七番岩本寺の間にある峠の一つ。東西の往来としてもよく利用された。現国道57号の北側尾根にあり、ミミズが這ったようなくねくねとした緩い道であったためにこの名前がある。「添」はさらに北にある「本蚯蚓坂」に対してつけられたようだが、こちらのほうが主要なルートであったようだ。ピークに「庵寺」の跡、また道すがらには丁石や石畳など。道のよすがであった庵寺は明治26年に焼失し、それ以降は七子峠の谷を行き来する道が多用されるようになったようだ。 (「土佐の峠風土記」)