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出典によれば、寛永十二年に二代目藩主の山内忠義がこの地に御茶屋を置いて、参勤交代の道中の休憩所兼御山番にした。この御茶屋を継いだ者の子孫が餅屋を開き、「手結山の餅屋」として名物になったという(現在は国道のトンネル西口にあり)。道筋は地形図に記載がないが、幅1mほどの旧往来がのこっているそうだ。
峠にはこんな民話も残っている。昔、″宇賀の長者″といわれた長者が、お伊勢参りの帰りにこの峠についた時、西の方角に大火のあるのを見て、あれほどの火事は自分の家以外にあるまいと思った。しかし、今から急いで帰っても無駄だと考え直して、(何を思ったか)尻をまくって西の方に向け、尻をあぶり出したという。このことから遠火でものをあぶることを、土地では「手結山の火」と言うそうである。(以上出典より)