物部村明賀の普賢堂参りを中心とした往来のあった峠。地形図には掲載なし。以前は物部村明賀から支尾根を登る山道があったというが、明治の中ごろに祖谷の谷道に銅鉱山が開発され、そこへ物資を運ぶのに整備された(現在は林道笹上線が越える)。別名をアリラン峠という。戦後、旧上韮生村の五王堂から笹谷に沿う道路の工事に従事していた韓国人が、この峠に登り、故国の峠に似ていることからアリラン峠と呼んだのが始まりという。当地では矢筈峠というよりアリラン峠と呼ぶ方が一般的だとか。(以上出典より)