五木の貧しい家の娘が口減らしのために奉公に出される折に、この峠で別れを惜しんだことからこの名がある。一説には、南北朝時代に征西将軍の懐良親王を奉じて転戦した源氏の一門が五木の村に身を隠したが、やがて親王に従って都に戻るものと、残された妻子が、この峠で悲しみつつ別れたという伝説もある。(「九州の峠」)