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702年に置かれた三関の一つ、鈴鹿関がこの峠(峠道)に比定される。正確な場所は不明だが現在の関町付近にあり、また何度か場所を移したとするのが通説であるという(のちの東海道の関は、もちろん関町に置かれた)。都への異族の侵入を防ぐという役割を考えたとき、峠という地形的な境=国境よりも前進した位置に置かれていたであろうことに、「峠の民俗地誌 -境をめぐって-」の著者は注目している。
初期の東山道はこの峠の北にある加太越え(倉歴越)であったが、仁和2年(886)に阿須波道が開かれ、鈴鹿峠経由となった。それ以前の延暦8年(789)には三関は廃止されている。
鎌倉時代の東海道は東山道と同じく美濃国府を通るものだったが、江戸時代になって再び伊勢回りとなり、現在の国道1号もほぼこれにしたがっている。(「峠の道路史」)