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峠データベース・詳細表示

峠No. 3765
峠名 鈴鹿峠
読み すずかとうげ
行政区 三重県亀山市関町坂下〜滋賀県甲賀市土山町山中
東経 136 度 20 分 14.000 秒 / 136.3374694
北緯 34 度 53 分 39.000 秒 / 34.89419
標高 374
図版番号 NI-53-96-11-4
2.5万図 鈴鹿峠(北東)
5万図 亀山
20万図 名古屋
道路種別 国道1号
タグ 分水嶺
出典 地形図,峠の民俗地誌,峠の道路史
航空写真 CCB-74-14-C8-31, 32 / CCB-74-14-C9B-9, 10 / CCB-74-14-C9C-1†, 2
地形図 国土地理院地形図閲覧システム
東経136度20分14秒, 北緯34度53分39秒
Mapion Mapion地図
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■峠の概要

 702年に置かれた三関の一つ、鈴鹿関がこの峠(峠道)に比定される。正確な場所は不明だが現在の関町付近にあり、また何度か場所を移したとするのが通説であるという(のちの東海道の関は、もちろん関町に置かれた)。都への異族の侵入を防ぐという役割を考えたとき、峠という地形的な境=国境よりも前進した位置に置かれていたであろうことに、「峠の民俗地誌 -境をめぐって-」の著者は注目している。

 初期の東山道はこの峠の北にある加太越え(倉歴越)であったが、仁和2年(886)に阿須波道が開かれ、鈴鹿峠経由となった。それ以前の延暦8年(789)には三関は廃止されている。
 鎌倉時代の東海道は東山道と同じく美濃国府を通るものだったが、江戸時代になって再び伊勢回りとなり、現在の国道1号もほぼこれにしたがっている。(「峠の道路史」)

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分水嶺辞典・鈴鹿峠