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律令時代、太平洋側を通っていた東山道の秋田への支線があったとされる(延喜式に記された宿駅から)。のちに山形へ通じる笹谷通りとして活躍。 明治15年に関山隧道が開通して交通量が減ったが、24〓28年に馬車通行可能に改修されている(旧国道はこれを引き継いだ形なので、傾斜が緩くカーブの多い典型的な道となっている)。これも34年の鉄道奥羽南線福島〓山形間の開通によって寂れていった。
昭和に入って32年、主要地方道の指定を受けて改修の手が入ったが、県境付近は未着手であったという。昭和40年に国道286号に昇格した際に笹谷トンネルが計画され、昭和54年に完成。2年後に共用開始となっている。
峠には「有耶無耶関」があったとされ、峠に住む鬼の危難を「有耶」「無耶」と鳴いて告げた鳥の伝説が伝わる。ただし、同様の「有耶無耶関」伝説は各地にある。また峠には斎藤茂吉の「ふた国の生きのたづきのあいかよふこの峠路を愛しむわれは」の歌碑が建つ。(「峠の道路史」)
「日本百名峠」には、この峠にあった東国山仙住寺のことがとりあげられて 16961771