鵜戸神宮へ向かう道として、また飫肥藩伊東氏の参勤交代道として利用された。中世期には600m北にある水の尾峠がこの峠に代わって利用されていたようだ。峠道にはキンカン茶屋跡、六部坂、硯岩などの目印が残る。(「九州の峠」)