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峠データベース・詳細表示

峠No. 4382
峠名 鳥居峠
読み とりいとうげ
行政区 長野県木曽郡木祖村薮原/楢川村奈良井
東経 137 度 47 分 47.000 秒 / 137.7965194
北緯 35 度 57 分 6.000 秒 / 35.9518
標高 1209
図版番号 NI-53-90-1-3
2.5万図 薮原(南西)
5万図 伊那
20万図 飯田
道路種別 国道19号
タグ 分水嶺
出典 地形図,峠の道路史,串田孫一編「峠」
航空写真 CKT-75-11-C9A-14 / CCB-76-11-C8-6†, 7 / CCB-76-11-C9A-6, 7, 8 / CCB-77-10-C3-28† / CCB-77-12-C2B-12 / CCB-77-12-C3-34
地形図 国土地理院地形図閲覧システム
東経137度47分47秒, 北緯35度57分6秒
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■峠の概要

 古代東山道、近代中山道の峠。出典によると木曾路は「続日本紀」の頃に整備され、当時は県坂とも呼ばれていたようだ。大宝2年(702)10月10日の条に「始めて美濃国岐蘇の山道を開く」とあり、和銅6年(713)7月7日の条には「美濃・信濃二国の堺、径道険隘にして、往還艱難なり、よって吉蘇路を通ず」とあるという。また翌7年にはこの工事に功のあった美濃守笠朝臣麻呂以下の関係者に恩賞を賜わっている。
 その後木曽路はしばらく使われなかったようだが、鎌倉時代以降は薮原峠、奈良井峠とも呼ばれ、天然の要害としてしばしば合戦の戦場になっている。特に明応年間(15c末)、木曽義元が松本の小笠原氏と戦った時、この峠から御岳を遥拝して勝利を祈願、戦に勝ったことを記念して鳥居を設けたのが「鳥居峠」の名の起こりになっている。
 明治23には長野県の「七道開削事業」の第六路線として馬車道が開かれたが、積雪期はしばしば交通が断絶した。これを改善すべく昭和30年に鳥居隧道が作られたが、幅員の狭さや漏水の問題などもあって、昭和53年に新鳥居トンネルが作られている(旧隧道は封鎖。旧峠はハイキン