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近世の中山道がこの峠を越えた。標高1600mは街道中で最も高く、最大の難所であった。当時は三峰山と鷲ヶ峰の鞍部(現在は北側に和田峠スキー場がある)を越えていたが、明治10年に現在の位置へ新峠が開かれた。ついで29年には峠道の改良がなされている。しかし38年、鉄道中央線が岡谷まで伸びたこともあって、峠道は徐々に衰退していった。
昭和2年にはこの峠を越えるバス運行が「和田嶺自動車株式会社」によって始まったが、特に冬季の運行に困難をきたし、峠のトンネル化が計画される。昭和6年に内務省の失業対策事業の一環として工事に着工、翌年1月に延長281mのトンネルが完成した(その後和田側坑口に相次いでスノーシェッドがつけられ、構造物としては604mになっている)。戦後も昭和34年までに一次改良が終了したが、抜本的な改修にならず、昭和49年に新和田トンネル(延長1922m)の建設を開始。51年に完成し、現在有料道路として使われている。(「峠の道路史」)