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谷川連峰の東、七ツ小屋山と朝日岳の鞍部を越える。一般国道291号の指定を受けているが自動車の交通は不能。古くは清水の直越(すごえ)、馬峠とも呼ばれ、上杉謙信の関東進出などにも利用されたが、険阻なために物資輸送には使われていなかった。幕末になって、東廻り海運の船が外国船に襲われることを懸念し、新潟湊から関東への陸運が計画され、この峠を越えるルートが実地調査されている(嘉永6年)。この時は経費や人足などの点で問題が多く断念されたが、明治7年に群馬県令・河瀬秀治により29.2km、幅員1.8mの清水越新道が開削された。次いで馬車も通行できるよう幅員5.5mに改修され、これは明治18年に完成している。国道として機能していたルートは後者であり、ほぼ一定の縦断勾配で等高線に沿い曲折しながら山腹を行くもので、典型的な馬車道となっている。
これによって高崎〓長岡間が172kmの距離になり、新潟と東京を最短距離でつなぐ道として多くの利用がなされたが、積雪による破損が激しく改修に費用がかかったこと、明治26年に上越線が開通したことなどによって衰退。(「峠の道路史」)