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万葉の昔から奈良と大和とを最短距離で結ぶ峠としてよく利用された(直越)。天平8年には行基に迎えられた天竺僧・僊那らが越えている。豊臣秀吉の時代には大和・伊賀・伊勢の諸大名の参勤路として、また近世には商業路や参詣路としてにぎわい、元禄7年には松尾芭蕉が大和へ越え「菊の香にくらがり登る節句かな」の句を残した。
摂津名所図会には暗峠の名の起こりとして次のような文章を載せている。「生駒の山脈続て、小椋山という。椋ヶ根の名あり。此山松杉大いに繁茂し、暗かりなれば名付る」。
明治期に仮定県道に指定され、昭和29年に府県道大阪枚岡奈良線となり、37年に途中の急坂部分も改修されて2m幅になった。国道308号の指定は45年だが、小型車がやっと登れる勾配とカーブ、峠付近に石畳が残ることなどでも知られる。(「峠の道路史」)