■峠の概要
秩父往来の一つとして、秩父の盆地と外界とをつないだ。その昔、畠山重忠が峠を越えて鎌倉へ向かった時、その妻が峠の上まで見送り、じっと見送ったという言い伝えがある。峠の名前もここから来ているらしい。(「日本百名峠」)
出典のこの項には「新編武蔵風土記稿」より引用する形で秩父往来の簡単な解説が載っている。秩父往来には東西三条、南北一条があった。
- 熊谷通り・・・中山道からくるもの
- 川越通り・・・江戸から板橋・川越・小川を通って大宮に至る
- 吾野通り・・・田無・所沢・飯能を経て吾野から正丸峠を越え、芦ヶ久保、横瀬に入り、大宮に至る (以上東西)
- 秩父脇往還・・・青海から名栗村に入り、山伏峠を越えて芦ヶ久保、皆野に至り条州へ出る (以上南北)
大町桂月、河井酔茗(紀行文『妻坂越』)、若山牧水といった文人歌人も多くこの峠を訪れている。(「日本百名峠」)