出雲国風土記に「三次の郡の堺なる三坂に通るは八一里なり。径、常にセキあり」とある三坂はこの峠とされる。戦国時代には最後まで尼子氏に従った赤名氏と、大内方(毛利氏)についた三吉氏の間で戦闘があった。近世には出雲広瀬藩と芸州広島藩の境として藩境碑が建てられたほか、境番家が置かれた。雲石街道の名で親しまれたこの峠に車道が開通したのは明治21年(1888)。地元の人は「大曲り」と呼ぶ。昭和39年には国道54号の全面改修にともなって赤名トンネルが完成。(「ふるさとの峠と街道」)