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平安時代に南の日本坂から東海道が遷移。在原業平の歌「駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢わぬなりけり」にも詠まれ、数々の旅日記でも描かれている。
標高170mと比較的低いながら多くの隧道が穿たれていることも特徴。明治9年には地元の結社による長さ224mの隧道(明治隧道)が作られた。素堀りの隧道に合掌造りの木枠をしたものだったが、同28年に照明用のカンテラから引火して焼失。通行不能になったものの、同36年に堀り直してレンガ積みとした。現在も残る隧道がこれである。
昭和5年には自動車交通に対応した隧道(昭和隧道)が、明治隧道の西に開削された。現国道の宇津の谷トンネル(長さ844m)は昭和32年度着工、36年完成。さらに現在、国道4車線化を目論む新トンネルが建設中である。(以上「峠の道路史」)