出典のエッセイは日原に石灰岩を採掘する会社が出来た直後に訪れた記録。大正六年の銘のある小さな石の祠が峠にあった。寄稿者(鳥見迅彦)はこの峠が付近では珍しい「こぶ」を越える峠であること、峠の名前が浅間に通じるものであることを記している。(「串田孫一編『峠』」)
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