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イレギュラーな境の例として出典に拠出。三崎はもともと羽後国(秋田藩)の一部だったが、廃藩置県の際に一部が分割されて山形県に編入された。そのため峠や分水界とは無関係に、県境が直線に引かれている。
廃藩置県では本来「国は分割しない」というのが原則だったが、三崎は戊辰戦争の時に官軍側の酒田民政局の管轄区域となっており、幕府側に回った秋田藩は置県の際の決定を鵜呑みにせざるを得なかったようだ。(以上「峠の民俗地誌」)
「秋田の峠歩き」では「奥の細道」で芭蕉が通ったルートとして紹介。また三崎山の縄文時代後期の遺跡から青銅製の刀が発見されたことや、庄内海岸の西浜で大量の石鏃が見つかったことを挙げ、日本海沿岸が日本の表玄関だったとする説に触れている。