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峠データベース・詳細表示

峠No. 6811
峠名 三崎峠
読み みさきとうげ
行政区 山形県飽海郡遊佐町吹浦
東経 139 度 52 分 45.000 秒 / 139.8793472
北緯 39 度 6 分 46.000 秒 / 39.112984
標高 65
図版番号 NJ-53-71-2-1
2.5万図 小砂川(延伸西南西)
5万図 吹浦
20万図 酒田
道路種別 国道7号
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出典
航空写真 CTO-76-20-C15-4
地形図 国土地理院地形図閲覧システム
東経139度52分45秒, 北緯39度6分46秒
Mapion Mapion地図
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■峠の概要

 イレギュラーな境の例として出典に拠出。三崎はもともと羽後国(秋田藩)の一部だったが、廃藩置県の際に一部が分割されて山形県に編入された。そのため峠や分水界とは無関係に、県境が直線に引かれている。
 廃藩置県では本来「国は分割しない」というのが原則だったが、三崎は戊辰戦争の時に官軍側の酒田民政局の管轄区域となっており、幕府側に回った秋田藩は置県の際の決定を鵜呑みにせざるを得なかったようだ。(以上「峠の民俗地誌」)

 「秋田の峠歩き」では「奥の細道」で芭蕉が通ったルートとして紹介。また三崎山の縄文時代後期の遺跡から青銅製の刀が発見されたことや、庄内海岸の西浜で大量の石鏃が見つかったことを挙げ、日本海沿岸が日本の表玄関だったとする説に触れている。