|
米沢盆地から小国を経由して越後へ抜ける越後街道の最大の難所。「土木県令」・三島道庸もこの道の改修に着手し、明治19年に玉川までの新道「小国新道」を完成させたが、この宇津峠だけは難所のままで、荷馬車は車体と車輪とを分解して運び上げなければならなかったといわれている。また峠道にはいくつかの片洞門も作られ、特徴的なそれは高橋由一の描いた「三県道路完成記念帖」に見ることができる。(「三県道路完成記念帖」の画は建設省東北地方建設局の「東北の道路今昔」に詳しい)。
昭和11年8月には国鉄米坂線が全通。自動車交通は箱の口片洞門区間の改修(昭和34年)、宇津トンネルの貫通(昭和42年)を待たねばならなかった。しかも42年夏、「羽越豪雨」として後に知られる大豪雨によって壊滅的な打撃を受けてしまう。この災害復旧も含め、改修が終了したのは昭和50年のことであった。
なお、現国道の新宇津トンネルは昭和59年から始まった第2次改修によって作られている。