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北アルプスの針ノ木峠、南アルプスの三伏峠と並んで日本三大峠と呼ばれる(が出典は不明)。文化11年(1814)成立の「甲斐国志」にも記載されており、それ以前にも甲斐九筋(武田信玄の軍用路)の1つとして利用されていた。江戸時代には秩父往還、甲州裏街道とも呼ばれ、旅人や修験道者などが多く越えた。
平成7年に6625mの雁坂トンネルが完成し、「開かずの国道」がまた一つ減った。トンネル完成による標高低下890mもトップクラスのものである。(「峠の道路史」)
串田孫一編「峠」には石一郎による戦後の峠越えのようすを収録。また「日本百名峠」には栃本の関所を守った大村家(戦前ごろまでは栃本唯一の旅館でもあった)の方の話を載せる。栃本は十文字峠路と雁坂峠路の分岐点として、善光寺参り、身延・三峰詣での人々、甲州から繭を買いに来る商人たちでにぎわった。また峠のそばにある偽の鞍部を「孫四郎峠」と呼んでいたという話を掲載。栃本に住んでいた孫四郎という案内人は、旅人を連れて登ると必ずこの鞍部で「ここが雁坂峠」といって帰ってしまったという逸話に基づく。